宗良親王と木舟城

石黒秀夫氏記

宗良親王

木舟城跡城山の「木舟城跡」碑の隣にかつて大滝・本領地内にあった道標が建っています。文字が読取りにくいが次のように刻んである。(木舟城跡 是ヨリ西南一四八五米 南朝忠臣石黒越中守宗良親王ヲ迎エ奉リシ所也 四位中将石黒大介書・・以下略)これは昭和13年3月に大滝村木舟城址保存会によって建てられたものです。碑文は名古屋の陸軍軍医だった石黒大介中将によるものです。南北朝時代、木舟城に南朝に味方する城主の石黒重之が宗良親王を迎え入れた所と案内しています。

宗良親王(むねよし/むねなが1311-1385)とは南北朝時代の南朝(吉野)の中心にあった後醍醐天皇の第八皇子で遠江国の井伊城に拠ったが、足利方に攻められ駿河、信濃、甲斐、美濃、越後を転々とし、「興国3年冬(1341)越中国に就き、奈呉浦貴船城主石黒越前守重之の館に入らせたもふ(遠江国風土記伝)」とし同5年の頃まで越中に留まり信濃に移られた。(重之・・・信濃宮伝では重定)

奈呉ノ浦の位置は現在の射水市富山新港~伏木富山港辺りなので、どのように木舟城に入城なったかは不明です。宗良親王は各地で和歌を詠まれ「新葉和歌集」や「李花集」に知られており越中滞在中の歌も数首、載っています。

関連で名古屋市北区に石黒重行(重之の孫)の遺跡として大井神社と瑞應寺があり、瑞應寺墓地に石黒重行のお墓もあります。末裔の石黒姓が多くあります。

参考:1)「信濃宮伝」2)「遠江国風土記伝」3)「浪合記」

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