木舟城は複郭式の平城

明治8年に作成された「木舟村地引絵図」には木舟城跡と周辺の地割や小字名が記されており、城の規模や構造の実態を知る大きな手がかりとなる。この絵図中、畑地として確認される微高地が城山と呼ばれている城跡である。この微高地は2つに分かれ、「本丸」「二ノ丸」と呼ばれており、現状の城跡からは小規模な城のように見える。しかし、地引絵図の地割からはこの微高地を含んだほぼ方形の城郭平面図が推測される(図1)。

木舟城跡周辺

      図1

この主郭と思われる方形の城郭を取り巻くように複数の外郭と堀(水濠)が設けられていたと推測される。この方形の主郭(A郭)は「越中古城記」などに記されている本丸(東西六十間、南北七十五間)と推測され、北の郭(B郭)と南の郭(C郭)は二の丸(東西四十五間、南北五十間)、三の丸(東西三十間、南北六十間)と推測される。このことから、木舟城は複郭式の構造をもつ平城であったと推測される(図2)。

木舟城の構造

      図2

参考文献:「メディアが伝える城下物語」初瀬部乗侯著

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