義仲・巴と越中武士団(石黒党・宮崎党等)
木舟城は、有名な砺波山(倶利伽羅峠)を舞台にした源氏と平氏の倶利伽羅合戦(寿永2年5月)に、木曽義仲軍に味方して源氏軍の勝利に尽力した越中武士団の、石黒太郎光弘が寿永3年(1184)に築城したと伝えられています。
石黒太郎光弘(生没年不詳)
富山県西部、南砺市~高岡市の広範囲にわたる武士団・石黒党を形成し大きな勢力をもつ。平家物語では、燧ケ城の戦い、安宅の戦い、倶利伽羅合戦で活躍しており、特に源平盛衰記に詳しく描かれている。本拠地である石黒荘は平安時代初めから続く大変古い荘園で、後に八条女院領となり、都との関係も深かったと見られる。
宮崎太郎長康(生没年不詳)
富山県朝日町を中心とし、新潟県糸魚川市付近も勢力下におさめる武将。宮崎党を率いる。入善地域の荘園の他、宮崎港の交易などで勢力を強める。平家物語では、燧ケ城の戦い、安宅の戦い、倶利伽羅合戦での奮闘が記されている。特に長門本では、家臣団や義仲との詳細なエピソードが紹介されている。
“まんがでわかる義仲・巴と越中武士団”発行:富山県知事政策局 2010年10月より抜粋。
漫画は、上田市出身の歴史ライターで漫画家の、西川かおりさん