時の真相

崎田峰彦氏記

天正の木舟大地震は11月27日か29日?  小矢部川左岸の法林寺断層が震源地

天正の木舟大地震は「~大地三丈計陥ル。所々破壊。~三日間不止。廿九日ニ入テ地震止ム」―菅君雑録1)―とある。木舟地震は約9メートル陥没するなど、3日間続き29日にやっと止んだとある。すると2日前の11月27日に地震が起きていることになる。従来の木舟地震の記録は11月29日とされている。これについて『北日本新聞―「天地人」―』2)に次の様なおもしろい論説があった、改めて本紙で紹介しておこう。

「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように―はニュースの基本要素だ。

では天正の大地震で越中の木舟城は「いつ」全壊したのか。肝心なことが今もはっきりしない◆豊臣秀吉が天下をほぼ統一した1586年1月18日(天正13年11月29日)、岐阜県の阿寺断層帯、それに連なる庄川断層帯などが動いた。M8前後と推定され、震源に近い白川郷の庄川のほとりにあった帰雲城(かえりくもじょう)を全壊させたほか、東海、北陸、近畿の広い範囲に甚大な被害をもたらした◆今の高岡市福岡町にあった木舟城では城主の前田秀継と妻、家臣全員が圧死し、城下町が壊滅した。同時多発の震災のひとつと見るのが通説だ。だが地元の資料などには2日前の11月27日(新暦1月16日)と記されたものがある。飯田汲次名大名誉教授(地震学)も2日前に起きた別の地震との説を唱え著書『天正大地震史』で、震源は木舟城跡に近い小矢部川左岸を走る法林寺断層の延長上、M6.6程度と推定している。◆これが事実なら、越中を震源とする地震が引き金となって天正地震が起きた可能性も出てくる。県の防災計画の見直しにもつながりかねない。◆秀吉は天正大地震を琵琶湖のオオナマズの仕業と見ていたそうだ。現代人はそれを笑えるほど万能か。先人の記録や現象に立ち返り、歴その謎や空白を埋めてこそ、秀吉もかぶとを脱ぐだろう」

(注)1)前田利家の誕生(1537年)期から1747年までの前田家の歴史書  2)2012.1.15・朝刊・P1

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